大津地方裁判所 昭和39年(ヨ)24号 判決 1966年5月30日
申請人 塩見修外二名
被申請人 西日本精工株式会社
補助参加人 西日本精工労働組合
主文
被申請人は、申請人塩見修、同森茂樹、同片岡道博をいずれも被申請人の従業員として取扱い、かつ申請人塩見修に対し、昭和三八年六月二五日以降一ケ月金一七、五二〇円、申請人森茂樹に対し昭和三九年一月九日以降一ケ月金二〇、七三五円、申請人片岡道博に対し同日以降一ケ月金二〇、六〇九円の割合による金員を各毎月二〇日限り支払わなければならない。
申請人らのその余の申請を却下する。
申請費用は申請人らと被申請人との間に生じた部分は被申請人の負担とし、参加によつて生じた部分は補助参加人の負担とする。
(注、無保証)
事実
第一、当事者の求める裁判
申請人ら訴訟代理人は「被申請人は、申請人塩見修、同森茂樹、同片岡道博をいずれもその従業員として取扱い、かつ申請人塩見修に対し昭和三八年六月二五日以降一ケ月金一八、九二二円、申請人森茂樹に対し昭和三九年一月九日以降一ケ月金二〇、九六五円、申請人片岡道博に対し同日以降一ケ月金二〇、八九八円の割合による金員を各毎月二〇日限り支払え。申請費用は被申請人の負担とする」との判決を求め被申請人訴訟代理人は「本件申請はいずれも却下する。申請費用は申請人らの負担とする」との判決を求めた。
第二、申請の理由
一、当事者
被申請人会社(以下単に会社という)は従業員約八五〇名を使用し、ボールベアリングの製造販売業務を営む会社である。
申請人らはその従業員として大津工場に勤務していたものであり、また会社従業員をもつて組織する西日本精工労働組合(以下単に組合という)に加入し、申請人塩見は昭和三八年六月二五日まで同組合の副委員長、申請人森は同年一一月二一日まで執行委員長、同片岡は同日まで書記長の各地位にあつたものである。
会社は申請人塩見を昭和三八年六月二五日付で就業規則第五五条第三号(職務上の指示に不当に従わず、職場の秩序をみだしたとき)、および第四号(著しく秩序風紀を乱す行為をしたとき)に該当する行為があつたものとして懲戒解雇し、同日、同処分を同申請人に通告した。
また申請人森、同片岡は同年一二月二九日の組合臨時大会で除名されたところ、会社は昭和三九年一月九日付で右両名に対し、右除名を理由に労働協約第四条第三項(ユニオンシヨツプ協定)を適用して解雇する旨翌一〇日に通告した。
二、然し右申請人ら三名の解雇は左記1のごとき事情を背景とするもので同2以下に述べる理由によりいずれも無効である。
1、申請人らはいずれも民主青年同盟(以下単に民青という)に加入しかつ組合の中心的活動家であつたが、会社はこれを嫌悪していた。
申請人森は昭和三三年二月はじめて会社に組合が結成されたときの中心メンバーであり、組合結成と同時に副委員長となり、昭和三四年組織部長(ただし中途で辞任)、昭和三五年二月から同年八月まで副委員長、同月から昭和三八年一一月二一日まで執行委員長兼組合連合会(大津工場、石部工場両労組の連合体)会長の地位にあり、一貫して組合の中心的活動家として活躍してきた。申請人片岡は昭和三五年二月から同年八月まで職場委員、同月から昭和三七年八月まで執行委員(組織部長)、同月から昭和三八年一一月二一日まで書記長の地位にあり(この間昭和三六年八月から昭和三八年一一月まで連合会中央委員)昭和三六年には民青に加入して申請人森を助け組合の中心にあつて活躍してきた。
その間組合は昭和三五年九月には大幅賃上げ斗争を行つて一挙に賃上げ一、八〇〇円をかちとり、昭和三六年の春斗においては組合結成以来始めてストを行い二、五〇〇円の大幅賃上げをかちとるなど着実な成果をあげたが、これは主として右両名の指導によるものである。
申請人塩見は右両名の考え方に共鳴し、昭和三五年一〇月に民青に加入し、昭和三七年八月の組合選挙に際し、副委員長に当選し、以後解雇までその地位にあり、組合の中心にあつて活躍してきた。
会社はかねてから民青に対し偏見を持ち続け、民青所属の組合員に対し種々の弾圧を加えてきた。即ち、会社は昭和三五年八月二一日から二三日まで県総評主催で伊吹山で行われた「山の集い」の参加者全員(一三名、申請人片岡を含む)に対し、民青の集りであるとして呼出し、総務課長が「民青は共産系である。会社の利益にならない」と説諭して調書をとつたほか、その後も民青所属の者に対し再三労務係長から民青を脱退するよう勧告した。また会社は昭和三六年後半に京都のうたごえ喫茶“炎”へ行つた者を呼び出し「炎に行くな」「炎に一緒に行つた某某はアカだ、つきあうな」と申し向け、同年九月、労務係を課に昇格させて民青に対処し、昭和三七年一月二四日の大津市民文化会館で行われた民青旗開き及び同年二月ころ会社の近くの建部神社で行われた民青の集会にも守衛をスパイとして差し向けた。そして会社は昭和三六年春の組合実力行使が申請人森同片岡らの指導の下に行われたことから申請人らの組合活動に脅威を感じ、昭和三七年八月の組合役員選挙にあたつてこれに干渉し、従来無投票で信任投票であつた一一名の執行委員(三役を含む)全員に職制を中心とする対立候補をたて、申請人らおよびその一派からの立候補者は「民青だ」「アカだ」と職制を通じて宣伝してこれを圧迫した。他方会社に擁護された候補は右会社介入と軌を一にして川村副委員長候補はじめ殆んどが、立会演説、選挙公報等で組合からの民青排除を公約に掲げる有様であつた。その結果右選挙で申請人森は委員長、同塩見は副委員長、同片岡は書記長に当選したが、申請人らの勢力は執行委員一一名のうち五名の少数派となり、反対派は六名を占めるに至つた。
会社はかような干渉にもかかわらず申請人らが三役を占めたことに脅威を感じ、昭和三八年八月の組合役員選挙では同派の力を殺ぐため前年を上回る干渉を行つたため立候補を断念する者さえ出る有様であつた。かような状況の下で組合選挙を間近に控えたとき、後記のごとく会社は申請人塩見のさ細な落書を誇大にとり上げ懲戒解雇をするに至つたものである。そして右選挙の結果は申請人森同片岡派は四名、これに反対する派は六名の比率となり申請人森は執行委員長、同片岡は書記長に当選したものの執行部内では全く少数派となるのやむなきに至つた。会社側の民青等の民主活動に対する態度は、会社機関誌「むつみ」(昭和三八年四月号)に掲載された今里社長の「何故レツドパージを実施したか」という記事に端的に示されている。これには昭和二三年ころGHQの共産党追放にさきがけて同社長がレツドパージを実施して成果をあげたという自慢話が得々として語られているのである。
2、申請人塩見の解雇の経緯とその無効事由について
申請人塩見は昭和三八年ころ大津工場第二工作課第一係外輪溝研磨一班(以下A溝という)に所属していたが、当時会社では生産性向上運動を実施中でその運動の一環として従業員を順次一日管理者として任命し、作業の改善、安全その他の希望等についての提案を「全員生産性向上運動カード」(以下単にカードという)なる用紙に記入せしめて提出を求めることにしていたが、右カードの提出は義務的ではなかつた。
申請人塩見は昭和三八年六月一四日たまたま現場の机上に放置されていたカードに休憩時間中別紙添付書面記載のような落書き(以下適宜本件カードと略称する)をして二、三の同僚に見せたうえA溝の出勤簿等を置く机の上に放置しておいたところ同月一七日朝点呼簿の中から右カードが発見されたとして同月一九日会社の工作課長、労務係長から呼び出しを受け調書をとられ署名を迫られた。そのとき同申請人は右カードは会社に提出する意図はなかつたことおよび同僚を扇動する積りもなかつたことを述べ右署名を拒否したところ、直ちに職場秩序を乱すおそれがあるとして労務係長から一週間の入場禁止を言渡され組合にその旨連絡しようとしたが、組合事務所への立入りも拒否された。
ついで同月二二日及び同月二四日労働協約第二八条の二に基づいて、会社、組合の各委員出席のうえ同申請人の処分につき賞罰委員会が開かれたが、組合側の意見が分裂していたため組合の態度は未決定のままで会社側の意見を聴取しただけでかつ同申請人に一言の弁明の機会を与えることなく同委員会は打切られた。
同月二四日会社の労働課長が同申請人宅を訪れ依願退職を勧告してきたが、同申請人は理由が納得できぬとしてこれを拒否したところ会社は翌二五日同申請人の前記カードの記載等を捉え前記のように就業規則第五五条第三号第四号に該当するとして同申請人を懲戒解雇に処した。
然し右懲戒解雇は以下の理由により無効である。
(一) 申請人塩見には就業規則に違反する行為がない。
本件カードは同申請人が会社に提出するため記入したものではなく、前記のように同申請人が休憩時間中に落書してこれを二、三の同僚に見せた後机上に放置したものにすぎないのであつてこれをもつて職場秩序を乱し、あるいは著しく秩序風紀を乱す行為があつたものとはいえないから、同申請人には就業規則第五五条第三号、第四号に該当する行為はない。
(二) 不当労働行為である。
(1) 前記のごとく会社は申請人らの組合活動を嫌悪し、組合内における申請人らの勢力を排除するため組合役員選挙に際し弾圧を強めていたところ、たまたま申請人塩見の落書した本件カードを入手するやこれを誇大にとりあげ一般従業員ならば問題にならないさ細な行為に対し最も苛酷な懲戒解雇処分をしたのは申請人塩見が組合の副委員長として活発に組合活動をなしていたことを会社が嫌悪したための差別待遇であることは明白である。
(2) 申請人塩見の本件カードの記載等の行為につき、会社は悪質な扇動であり職場秩序を著しく乱したというが、本件カードに記載された内容は会社の左に見るごとき生産性向上運動に伴う労働条件悪化に対する正当な批判を含み、右行為は正当な組合活動の一環と目すべきものである。
会社はボールベアリング業界では生産第一位を占めていたが昭和三七年八月に業績が悪化して第三位に転落した。そこで会社は経営首脳陣の更迭を行うなどして体質の改善を図り、併せて生産性向上運動を展開した結果一年間で一人当り四三%、総額において三八%の生産増加を示しているが、反面左記のような労働強化のため労働条件は次第に悪化するに至つた。
(イ) 二部制の時間延長。従来一日当り実働六時間一〇分であつたものが七時間に延長された。
(ロ) 機械の配置換(レイアウト)を行い、工員一人当りの担当機械台数が増加している。例えば内径研磨機は一人当り一台から一・五台、スーパーは一人当り二台から三台にそれぞれ増加した。
(ハ) 申請人塩見の勤務していたA溝は事故発生の極めて多い職場で、昭和三七年四月から同三八年四月まで一年間の統計によれば、会社内の職場二六部門中A溝の災害数は旋削の七一件についで人員四〇―五〇人当り二五件であり、第二位を占めている。特に漸次休業災害が増加している。
(ニ) 有給休暇に対する制限の強化。会社は出勤率を確保するために従前は当日の届出のみで自由に有給休暇がとれたものを前日までに予定日数その理由等を所属長を経て会社宛届け出なければ無届欠勤とし、届出をなしてもなかなかこれを認可せず、実質的には有給休暇の取上げを行うようになつた。
(ホ) 生理休暇について。組合は従来女子職員に対し、生理休暇を認めるよう会社に対し折衝中であつたが、会社は当然の権利である生理休暇すらも言を左右にして応じない有様であつた。
(ヘ) 一時金の減少。物価の騰貴と労働強化があつたのに夏冬支給の一時金は低下の傾向を見せている。即ち昭和三六年八月三三、〇〇〇円、同年一二月三四、五〇〇円、同三七年八月三〇、〇〇〇円、同年一二月二九、八〇〇円、同三八年八月二九、八〇〇円、同年一二月三三、五〇〇円である。
(ト) カードの提出。前記のとおり会社は全員生産性向上運動に伴い、一日管理者制度を設けカードを提出せしめることとしたが、一日管理者になると作業時間外に提案内容を考えてカードに記入するという作業を課せられ、かつそれに対し手当を支給されないので一日管理者に任命されること自体労働強化に外ならない。
会社は右のような労働強化を伴う生産性向上運動の実施により生産量の飛躍的増加をみたのであるが、労働者に対する利潤の還元は逆に減少したのであり、申請人塩見を含め従業員の中にはかかる一方的な生産性向上運動に対して批判の声が漸次高まりつつあつたのである。以上のような実情を背景に本件カードの内容を項目別に見てみると第一項第三項は労働災害の増加に対する批判であり、第四項は有給休暇に対し加えられた制限、レイアウト等に対する批判、第二項は全体として会社が利潤をあげるため苛酷な労働条件を強いていることに対する反対と同じ職場の組合員に対する自覚を促しているものである。
以上の記載内容は会社に提出する気は全くないので、多少やゆ的な調子を帯びてはいるがその根底に流れるものはいずれも前に述べた会社の合理化運動から生じた組合員の労働強化、労働条件の低下に対する具体的な根拠に基づく正当な批判であつて、組合の副委員長である申請人塩見がかかる批判をなすことは組合員に対し自己の労働条件に対する自覚と、その改善に対する意欲を呼び起すための日常の職場活動であつて、徒らに企業の生産を阻害し、作業の能率を低下せしめる目的をもつ悪質な扇動とは厳に区別されるべきである。
従つて申請人塩見の前記行為を理由とする懲戒解雇は労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為である。
(三) 労働基準法第三条に違反する。
前記のごとく申請人塩見は民青に加入していたところ、会社は民青を甚だしく嫌悪し、ことあるごとに弾圧を加え、昭和三八年度の組合役員選挙を間近に控えた時期に組合の分裂と民青排除をねらつて同申請人の前記さ細な行為をとりあげ、懲戒解雇処分を強行したものである。
この懲戒解雇処分が民青弾圧のためのものであることは「むつみ」(昭和三八年八月号)に掲載された今里社長の談話からも充分窺える。この中で同社長は同申請人の解雇にふれて「若い時に赤い理論即ち社会主義をしない者は馬鹿だといいます。しかしある程度の年令になつてからなおかつこういうことに執着する人はもつと愚かしいことだと思つております。」「社会主義理論を逸脱するということは………職場の規律の上からも許されない時はやむを得ないと思つております。」と述べている。
右懲戒解雇処分は労働基準法第三条にいう信条による差別的取扱をしたものである。
(四) 労働協約に定める手続に違背している。
(1) 労働協約第二七条第四号、就業規則第五三条第四号は懲戒解雇は監督官庁の除外認定を受けなければならない旨規定している。しかるに申請人塩見を懲戒解雇するに際して会社は監督官庁の除外認定を受けておらないから、右懲戒解雇は労働協約に違反する。
(2) 労働協約第二八条の二は賞罰委員会の設置を定め、これに関する詳細な点は賞罰委員会規則に譲つている。同規則第一条は「社員の表彰および懲戒を公正に行うため諮問機関として賞罰委員会を設置する」と規定し、同規則第二条は「同委員会は労使双方各五名ずつの委員で構成される」と規定している。従つて懲戒処分をなすに当つてはその公正を期するため、賞罰委員会において労使双方が充分に事案を検討するという手続が要求されている。特に生活の手段を奪う解雇処分については特に慎重な討議を経なければならぬところ、前記解雇の経緯に述べた如く、会社は組合側と充分事案の検討をすることなく、また申請人塩見に対し一言の弁解の機会を与えることもなく懲戒解雇したものである。
以上からみて右懲戒解雇は労働協約第二八条、第二八条の二賞罰委員会規則に違反している。
(五) 解雇権の濫用である。
会社は解雇の理由として申請人塩見が一日管理者として提案するに際し、本件カードに不当な内容を記入し、これを一週間にわたり同僚に見せて扇動したという事実をあげ、これが会社の秩序風紀を著しく乱したと主張するが、同申請人は昭和三八年六月六日に一日管理者の番に当つていたもので、本件カードに記入したのは順番のすぎた六月一四日である。そして前記のごとくたまたま現場の机上に放置されていた用紙に記入し同僚三、四人に見せたにすぎず、提出の意図もなく出勤簿を置く現場の机の上に置き忘れたものが現場班長の発見するところとなり上司に届け出られたものである。カードに記入した内容は会社の経営方針に対する批判であるから会社の神経を著しく刺激することは当然のことであるが、これをもつて直ちに職場の秩序風紀を著しく乱したとはいえない。かりに同申請人の行為が何らかの非難に値するとしてもより軽い処分で充分であり、最も重い懲戒解雇にしたのは解雇権の濫用である。
3、申請人森、同片岡の解雇の経緯とその無効事由について
昭和三八年六月、申請人塩見が懲戒解雇される際、反森派が多数を占める組合執行部は、塩見の処分を審議する賞罰委員会で塩見問題に関知しないとして会社に処罰を一任する態度をとり、副委員長の要職にあつた塩見を見殺しにした。塩見は解雇を不当労働行為であるとして滋賀地方労働委員会(以下単に地労委という)に救済を求め、地労委の審問は同年八月九日から開始されたが、申請人森、同片岡は塩見のため証人として出廷証言し、ついで補佐人となる等塩見を支援する活動をしたところ、反森派の組合幹部はこれを塩見問題に関知しないとした組合の決定違反であるとし、同年一一月二一日の職場委員会で申請人森、同片岡の不信任を決定したので、同日右両名はやむをえず委員長、書記長を辞任したところ、さらに同年一二月二九日臨時大会を開いて「森茂樹片岡道博両名の罪状について」なる告発状に記載した後記八つの罪状について審議し、同日三〇三票対二一六票、無効二四票をもつて申請人森、同片岡を除名した。会社は組合との間でユニオンシヨツプ協定(労働協約第四条第三項)を結んでいることを理由に前記のように右両申請人を解雇した。
しかし右除名は以下述べる理由により無効であるから除名を根拠とする解雇もまた無効である。
(一) 組合が除名事由とした左記「八つの罪状」はいずれも理由がない。以下順次検討する。
(1) 除名理由の第一は「申請人森、同片岡は昭和三八年一二月一七日開かれた組合の臨時大会において、元委員長、書記長でありながら前日に得た塩見問題に対する疑義を臨時大会に至るまで提供せず、大会の終局近くなつて、あたかも大津労働基準監督署で前日調査したかのごとき偽りの発言を行い議場を混乱せしめた。右行為は組合規約第八条(統制を維持する義務)に違反し、規約第四〇条第一号(組合規約および諸規則に背反した者)に該当する。」という。
しかし事実は右臨時大会において申請人森、同片岡らが塩見の懲戒解雇処分につき「我々の調査によれば塩見解雇の際監督官庁の除外認定を受けておらないから労働協約、就業規則違反で無効である」旨の発言をなし、反森派幹部が強行しようとした一方的に塩見に不利な和解案に反対したところ、組合員の間にもこれを支持する者もあつて執行部の思惑通り議事を進行できなくなつて延会となつたにすぎず、議場も混乱せず、規約違反に該当するような事実はなかつた。いやしくも組合大会運営の民主的保障と意見表明の自由確保の見地からするとき、かかる事由を規約違反として掲げること自体、現執行部の反民主性、独善的性格を示す証左であるというほかない。
(2) 除名理由の第二は「申請人森、同片岡は塩見解雇事件につき組合として関知しないとの組合の方針に反し、組合の委員長、書記長として在任中に知り得た情報を「塩見君を守る会」に提供し、昭和三八年七月二二日より一二月一七日に至る間、事実を歪曲した「塩見君を守る会ニユース」を発行して組合員に配布させ組合を誹謗し、組合員を混乱させた。右行為は組合規約第八条に違反し、第四〇条第一号に該当する。」という。
しかし「塩見君を守る会ニユース」を発行したのは、地域労働者らが結成する「塩見君を守る会」で、右両申請人は、右ニユースを提供したり発行させたり配布したりしたこともない。
(3) 除名理由の第三は「申請人森、同片岡は塩見問題に関知しないとの組合の方針に違反し、委員長ないし書記長在任中に同問題の地労委における不当労働行為審査事件の補佐人として同事件に関与した。右行為は組合規約第四〇条第二号(組合の決定に従わなかつた者)に該当する。」という。
しかし、組合の関知しないという態度は塩見の懲戒解雇を審議する賞罰委員会に臨む際、執行部内部で意見が分裂し、塩見解雇に対する賛否をきめかねた結果とられた態度で、いかなる場合であれ、また個人の立場であれこれに関知してはならないという禁止の趣旨を含まないのみならず、昭和三八年八月二四日申請人森が地労委の前記審査事件において証人として証言する際、組合の川村副委員長が傍聴していたのに何ら異議をいわず、また同申請人が同年一〇月二日の執行委員会で森、片岡が補佐人として地労委に出席することを報告したときも異議が述べられたこともなく、右両申請人の右行為については組合執行部も了承していたもので、申請人森、同片岡の行為は組合規約に違反する点はない。
(4) 除名理由の第四は「申請人森、同片岡は、昭和三八年一一月二一日の職場委員会において、前記の経過で役員を辞任した後も反省するところなく、その弁明書においてかえつて他の職場委員や執行委員を誹謗し、組合員と執行部との離間をはかり、組合の統制を乱したものであつて、組合規約第八条に違反し、第四〇条第一号に該当する。」という。
申請人森、同片岡は前記のように職場委員会での不信任の決定にいさぎよく服して役員を辞任すると共に執行部の承認を得て組合を通じ弁明書を公表し、一般組合員に対し、昨日まで委員長、書記長の地位にあつた者として真相を明らかにし自己の信念を訴え、かつ不信任なる処罰に服しさらに一層団結して一時金斗争に立上るよう訴えたものであるから執行部に対する正当な批判が含まれるのは当然のことであり、かゝることは民主的な組合においては当然許される言論の自由の範囲に属するもので組合の統制を乱すなど規約違反の事実はない。
(5) 除名理由の第五は「申請人森、同片岡は、委員長ないし書記長在任中の昭和三八年七月五日、組合の塩見問題に関知しないという決定に違反して滋賀会館において塩見君を守る会の資金カンパを行つた。右行為は組合規約第八条に違反し、第四〇条第一号に該当する。」という。
しかし右事実は全くなく、またかりにあつたとしても、前記(3)で「関知しない」に関し述べたと同一の理由で統制違反にならない。
(6) 除名理由の第六は「申請人森、同片岡は除名理由の(4)において述べた弁明書中において従来から組合が方針としていた生産性向上に反対した。この行為は組合規約第四〇条第一号に該当する。」という。
会社の生産性向上運動に対し弁明書で批判を加えたのは事実であるが、会社だけが利益をあげ、反面において労働者に犠牲を強いる生産性向上運動に労働者として批判を行うことは当然であり、これなくしてはもはや労働組合ではなく、従つて組合のいう「働くだけ働き、取るだけ取ろう」というスローガンと必ずしも両立しないものではない。よつてこれまた除名理由に該当しない。
(7) 除名理由の第七は「申請人森、同片岡は委員長ないし書記長の職にありながら特定の政治活動を行つておりかつ仕事をサボルことを宣伝し、組合綱領(我々は我々の技術を練磨し、知性を向上することによつて産業人として恥じない人格の形成に努めることを期す)に違反した。
右行為は組合規約第四〇条第一号に該当する。」という。
申請人森、同片岡が民青に加入していることは事実であるがこれは除名理由とならないし、仕事をサボルことを宣伝した事実もない。
(8) 除名理由の第八は「申請人森、同片岡は、組合員有志が声明書を発表した際、電話によりまたは通勤途上を待ち伏せるなどの方法によつて組合員に脅迫感を与え、心理的動揺をはかつた。右行為は組合規約第八条に違反し、第四〇条第一号に該当する。」というが、かゝる事実は全くない。
(二) 本件除名は二重処罰である。
前記のごとく現組合幹部は申請人森、同片岡が申請人塩見の地労委における審査事件で補佐人及び証人となつたことを組合規約第四〇条第二号(組合決定に違反したもの)および第四号(組合の体面を著しく汚したもの)に該当するとして昭和三八年一一月二一日の職場委員会で処罰することとした。そして申請人森、同片岡を除名すべきであるとする第一案と除名に値するが将来も考え「処罰である不信任」とする第二案が対立し採決の結果第二案の「処罰としての不信任」と決定され、同決定に従い右両申請人は即日辞任した。ところで前記除名理由八項目のうち(2)ないし(6)は、直接または間接に右一一月二一日の処罰の理由とされているから、本件除名は明白に同一事由による再度の処罰であつて許されない。
(三) 本件除名は信条を理由とする差別的排除であつて憲法に違反し、公序良俗に反する。
現組合幹部が申請人森、同片岡とかねて対立し、組合から民青を排除することを組合役員選挙の公報に掲げていたことは前記1、のとおりであるが、除名理由(7)にいう「特定の政治活動」が民青活動を指していることは除名が決定された臨時大会での発言等で明らかになつている。しかし思想信条の不可侵は憲法第一九条、第二〇条、労働基準法第三条の保障するところであり、また労働組合法第二条で労働組合の目的を労働者の経済的地位の向上を主たる目的とする旨掲げていることはその従として政治活動をなすことを許容している趣旨であり、経済的要求も政治と経済が密接に関連し合つている現在の社会機構の下では政治的主張を離れては考えられないのである。
従つて民青に加入し活動したことを除名理由とすることは思想信条を理由とする差別的排除であつて憲法に違反し、公序良俗に違反する。
(四) 除名権、統制権の濫用である。
組合が除名理由とする八項目はもしそれに該当する事実があつたとしても、ユニオンシヨツプ協定が存在し除名即解雇となる本件においては、申請人森、同片岡の行為がその生存をおびやかす極刑である除名という重大な処罰に該当するものとは到底考えられず、組合があえて右両申請人を除名したのは統制権の濫用というべきである。
(五) 本件除名は組合を通じ会社がなした不当労働行為ないし信条による差別をしたものである。
会社が申請人森、同片岡らの活発な組合活動および民青活動を嫌悪し組合と企業から排除しようとしていたことは前記のとおりであるが、本件除名は会社が塩見事件にからみ組合の幹部をして右両申請人を除名せしめ解雇したものであつて、この解雇は右両申請人の正当な組合活動ないし民青に加入していることを理由とするものであり、不当労働行為(労働組合法第七条第一号)ないし信条による差別に該当する。
また会社が、組合をして右両申請人が地労委の審査事件で申請人塩見の補佐人や証人となつたことを理由に除名せしめ、解雇したこともまた不当労働行為(同法第七条第四号)に該当する。
三、仮処分の必要性
上述のごとく会社の申請人らに対する解雇はいずれも無効であつて、申請人らは依然としてその従業員たる地位を有するものであるところ、申請人らはいずれも他に資産収入がなく自己の労働による賃金を唯一の生計の資とする労働者である。よつて申請人らは解雇を無効として地位確認の本案の訴を提起すべく準備中であるが、その確定に至るまでその地位を仮に定めて生活を保全する緊急の必要性があるところ、申請人らのそれぞれ解雇前三ケ月間の平均賃金は、申請人塩見は一ケ月金一八、九二二円、同森は金二〇、九六五円、同片岡は金二〇、八九八円であり、かついずれも解雇時まで毎月二〇日限り支払いを受けていたものである。
よつて申請人らの現在の危難をさけ、その生活を保全するため申請の趣旨どおりの裁判を求めるため、本件申請に及んだ。
第三、被申請人の答弁および主張
一、申請の理由第一項は認める。ただし会社の従業員の総数は約一、一〇〇名、大津工場は約八五〇名である。
二、1、申請理由第二項1のうち、申請人らの組合役職歴、昭和三五年九月会社が一、八〇〇円の賃上げを行つたこと、(ただしこれは従来年二回行つていた賃上げを年一回にまとめたものである)昭和三六年春、組合が結成以来始めてのストを行ない、二五〇〇円の賃上げをすることで争議が妥結したこと、昭和三五年八月ころ、総務課長が、伊吹山で行われた「山の集い」に参加した従業員数名を呼んでその事情を参考までに聞いたこと、昭和三六年九月、労務係を課に昇格させたこと、昭和三七年八月組合役員選挙が行なわれたこと、同選挙で申請人らがその主張通り組合三役を占めたことは認めるがその余の事実は争う。
申請人らは、会社が民青を嫌悪し弾圧を加えたというが、伊吹山に行つたグループのうち数名の者から事情を聴取した際は申請人ら主張のような発言をしたことはなく、昭和三六年労務係を課に昇格させたのは、従業員数の増加と石部工場の新設に伴う本社的業務の増加等によるもので民青対策と関係なく、「むつみ」に掲載した社長挨拶は社長が自分の経験と感想を述べ、労使間に協力信頼が必要である旨強調したにすぎず、その他民青弾圧行為として申請人らの挙げる事実はいずれも虚構にすぎない。
また昭和三六年四月のストは組合結成以来今日までただ一回のしかも短期間で終結した争議であつて、これを除けば会社の労使関係は長い間極めて平和裡に推移してきたのであつて右ストにおける申請人らの組合活動は会社は知らないが、たとえ知つていてもこれを恐れ、嫌悪する理由も必要もない。また組合役員選挙に会社が干渉した事実もない。
2、申請人塩見の懲戒解雇に関する答弁と主張
申請理由第二項2のうち、会社が同申請人主張のころ全員生産性向上運動の一環として一日管理者制度を設け、カードを提出させていたこと、会社の大津工場第二工作課第一係外輪溝研磨(A溝)一班に所属していた申請人塩見が昭和三八年六月一四、五日ころカードに別紙添付書面の如き記載をなして同僚に見せたこと、会社が同月一九日第二工作課長、労働係長をして同申請人を呼出し、本件カードに関しその供述を調書にとり、署名を要求したが同申請人がこれを拒否したこと及び同日労働係長を通じ同申請人に一週間の入場禁止を言渡したこと、同月二二日及び同月二四日に同申請人の懲戒に関し賞罰委員会が三回開かれたこと、同月二四日会社の労働課長が同申請人宅を訪れ依願退職を勧告したが、拒否したので、翌二五日同申請人を就業規則第五五条第三、四号に該当するものとして懲戒解雇に処したこと、会社がベアリング業界で古くから売上高第一位を占めていたが、昭和三七年始めて二位に下つたこと、経営首脳陣の更迭を行い、全員生産性向上運動を行つた結果生産量の増加を見たこと、実働時間を申請人主張どおり延長したこと、会社の設備の近代化に伴い、一部の機械の配置換えや、一人当りの機械の持台数が増加したこと、A溝の災害発生数および発生率順位が統計上は申請人主張のとおりであること、昭和三六年から三八年に至る間に支給された一時金の額が申請人主張のとおりであること、「むつみ」昭和三八年三月号に掲載された社長談話が申請人主張のとおりであること、申請人塩見の懲戒解雇について監督官庁の除外認定を受けていないことはいずれもこれを認めるが、その余の事実は否認する。申請人塩見に対する懲戒解雇は、以下述べる理由により正当である。
(一) 申請人塩見の行為は労働協約および就業規則の懲戒解雇条項に該当する。
会社において昭和三八年一月一七日から始めた全員生産性向上運動は全従業員の創意と工夫を工場管理に反映させ、工場の作業および運営の合理化をはかるとともに明るい希望に満ちた作業環境を作り、もつて生産性の向上に寄与し、外に対しては開放経済の下、国際競争力を涵養し、また製品価格の引下げをはかり、内においては会社の利潤をあげると同時に従業員の賃金を上げ、その生活水準の向上をはかるための会社の重要な施策の一であり、従つて一日管理者に指名された従業員が提案制度に参加し、提案を行うことは、重要な職務とされているところで、右制度の目的に副うた価値ある提案をすることがその職務を遂行したことになる。しかるに申請人塩見の本件カードによる提案は、提案制度の趣旨に反する全く無価値のものであるのみならず、提案制度を悪用し、これを真向から否定するものであり、また提案に当り、就業中再三にわたり、職場の同僚にこれを誇示し吹聴し、全員生産性向上運動に対する反対の態度を表明し、もつて他の従業員を扇動したものである。
申請人塩見は、本件カードは、たまたま現場の机上に放置されていたカードに休憩時間中落書をし、提出する意思もなく机上に置き忘れたと主張するが、これは事実に反し、同人が積極的に悪意ある内容を記入した上同僚に示して扇動し、これを会社に提出したものであることは左に見るとおりである。
まずカードに記載された提案内容を見ると、本件カードのうち第四の提案以外はすべて提案制度の趣旨に反し、これを逆用して会社の生産性向上運動を積極的に阻害せんとしたのみでなく会社の日常の業務に関する正当な管理運営を故なく非難冒涜し、生産を阻害せんとしたものであり、第四の提案も自分の考えを一般的抽象的に述べたのみで、現実に立脚した価値ある真面目な提案とは到底いえない。しかも昭和三八年六月一四日ごろ本件カードを提出するまでの数日間、再三にわたつて就業時間中A溝一班二班の多数の同僚に本件カードないしその下書を誇示し、吹聴し、宣伝するなど生産阻害職場秩序びん乱の目的で他の従業員を扇動しているのである。そして申請人塩見がカードを単に机上に置き忘れたものでなく、積極的に会社に提案したものであることは、同申請人が同年六月六日、一日管理者に指名された際鳥居班長心得から腕章と共にカードを受取つていること、同月一四日に西村班長の許に赴き、怪我をしない方法を考えついたから提案したいと称してさらにカードを一枚貰い受けていること、カード記入に際し、日付、職場、氏名は勿論、所定どおり四項目に分けて提案内容を記入していること、本件カードが平素班長や職長が管理し欠勤届やカードの提出場所として使用されている記録机上のA溝点呼簿の中に挾まれていたことなどから明らかである。なお提案カード取扱要領によれば一日管理者は一応その翌日退社時に腕章と共にカードを提出することになつているが、提出期限について厳格な制限がなく、実際は数日ないし一〇日位遅れて出されることも多く、同申請人が六月六日一日管理者となりながら同月一四日にカードを作製し提出したことは異例のことではない。
要するに同申請人のかような行為は、会社の提案制度に参加した者が遵守すべき職務上の指示に不当に従わず、あえてこれに逆つた提案を行い職場の秩序を乱したものであるから職務上の指示に不当に従わず職場の秩序を乱したものとして労働協約第二八条第三号、および就業規則第五五条第三号に該当し、かつ今まで全社をあげて円滑に進められてきた会社の重要施策である全員生産性向上運動に対し真向から否定阻止する行為に出たものとして著しく社内秩序を乱すものであるから、労働協約第二八条第四号および就業規則第五五条第四号に該当する。
(二) 不当労働行為の成立する余地はない。
前記の如く会社が申請人らの組合活動を嫌悪し、組合役員選挙に干渉した事実は全くなく、生産性向上運動により労働が強化された事実もない。二部制の実働時間を延長したのは就業規則上の二部制の実働時間がもともと七時間とされていたのに、従来暫定措置として六時間一〇分に短縮していたものであつて、昭和三八年二月から就業規則どおり七時間に戻すとともに交替制勤務手当を新設したものであり、工員一人当りの持台数が増加したのは機械設備の改善により各人に余裕が生じたのに応じて増加したものであり、申請人らが災害数が増加したとして挙げている災害統計は昭和三八年七月、安全週間実施中に会社が公表したものであるが、右統計中には災害防止に従業員全員の注意を喚起するため極めて軽微な災害をも含めており、実際は休業災害は逐次減少している。また有給休暇は従来ルーズにとられていたのを、就業規則を遵守し原則として事前に届け出るよう指示したに過ぎず、生理休暇は就業規則に基づいて与えており、一時金が減少したのは生産量自体が前年より減少したことによるものであり、カードの提出は時間的労力的に労働が強化される性質のものでなく、またその本質上、提案事項を考えつかない者にまで強制的に提出させるものではない。
申請人塩見は本件カードに記入し、同僚に見せた行為自体が正当な組合活動であるというが、正当な組合活動であるためには労働組合の本来の使命とする労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを目的とする労働組合の正規の機関活動ないしその指令に基づく組合員の行為であつて、しかも正当なものでなければならないとされるところ、申請人塩見の前記行為は会社の全員生産性向上運動の立場や機能を理解せず、偏見に満ちた特定の立場から否定阻止せんとしたものであつて、労働者の経済的地位の向上にとつて有害無益であるのみでなく、全員生産性向上運動に協力的態度を示してきた組合の意思を離れこれに反して行われたものであつて、いずれの点からしても組合活動とはいいえない。
以上いずれの点からみても本件解雇に不当労働行為の成立する余地はないが、申請人塩見は日頃から離席遅刻等が極めて多く、上司より再三注意を受けながらかえつて反抗的態度に出て改めず、勤務を怠けているため、生産量も少なく勤務成績は同申請人の所属するA溝三六名中最下位であつたから本件カード事件によつて同人を懲戒解雇した措置は全く当然のことである。
(三) 労働基準法第三条違反に該当する事実はない。
会社が民青を嫌悪し、これに弾圧を加えたことがないことは前記のとおりであり、塩見の懲戒解雇も同人が民青に加入していたことと関係がない。
(四) 労働協約に定める手続に違反していない。
(1) 会社は申請人塩見解雇の際監督官庁の除外認定を受けていないが、これに代え予告手当を支給(ただし受領拒否により供託)して解雇したものであり、労働基準法に違反していない。
また労働協約第二七条四号および就業規則第五三条四号の規定は、予告期間の設定ないし予告手当の支給について会社側の恣意的判断を排除するために設けられた労働基準法第二〇条三項の公法上の義務を使用者の義務として定めたものであつて、監督官庁の認定をもつて懲戒解雇の効力発生要件としたものではないと解すべきであるからこの点に関する申請人塩見の主張は失当である。
(2) 会社は申請人塩見を解雇するに先立ち労働協約第二八条の二の規定に従い賞罰委員会を開き、その審議をへて懲戒解雇を決定した。しかして同委員会は前後三回開かれ、昭和三八年六月二四日第三回委員会において組合側委員から「今回の塩見修君の件に対して執行部で種々検討したが結論がまとまらなかつた。従つて今後職場委員会大会で問題となつたときはとも角執行部としては現段階ではこの問題の結論に関知せず、将来も問題としないという前提で賞罰委員会はこれで打ち切りたい」旨の申し入れがあり、これが会社側の決定に一任する趣旨であることを確認したうえで委員会を終了し、会社側提案どおり懲戒解雇処分に付するに至つたものである。
申請人塩見は一言の弁明の機会も与えられなかつたと主張しているが、会社は賞罰委員会にさきだち直接同申請人から事情を聴取し、事実に相違ない旨確認しており、組合でも同申請人を交えて執行委員会を開き本人より充分事情も意見も聞いた上であつたので、賞罰委員会に本人を呼ぶ要請は組合側からもなかつたのである。
その他に会社の労働協約および就業規則上懲戒処分の手続については何らの制約もないので本件懲戒解雇処分は適法になされたというべきである。
3、申請人森、同片岡の解雇に関する答弁と主張
申請理由第二項3(一)ないし(四)のうち、申請人塩見が懲戒解雇後地労委に救済の申立をしたこと、申請人森、同片岡が地労委における申請人塩見の審査事件の証人となりついで補佐人となつたこと、申請人森、同片岡が組合を除名され、会社が同人ら主張の理由をもつて同人らを解雇したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(一) 会社が申請人森、同片岡を解雇したいきさつは、組合が昭和三九年一月六日、会社に対して昭和三八年一二月二九日の臨時大会において右両名の除名を決定した旨通告してくると共に、労働協約第四条のユニオンシヨツプ条項に基づき右両名の解雇を要求してきた。
会社は、除名通告を受けた当日、およびその翌日の二回にわたり組合の要請により労使協議会を開き、今西委員長代行他七名の組合役員の出席を得て、組合より除名に至る間の事情を聴取し審議した後、さらに翌一月八日申請人森、同片岡の弁明を聞いた結果、本件除名の理由および手続はいずれも適法かつ正当なものであるとの確信を得たものである。よつて会社は右両名をユニオンシヨツプ条項に基づき解雇する他はないと決し、同月九日右両名に対し同日付をもつて解雇する旨口頭で通告し、予告手当と共に辞令を交付しようとしたところ、右両名はいずれもその受領を拒否したので、重ねて内容証明郵便をもつて右解雇の通告をなすと共に予告手当を供託したものである。
右のとおり右両名の解雇は組合のなした除名が有効である以上、会社は労働協約の定めるところにより行つたものであるので、無効となるいわれはない。なお会社が除名を有効であると確信した理由は後記組合の主張と同一であるからこれを援用する。
(二) 不当労働行為ないし信条による差別として無効であるとの主張について
申請理由第二項3、(五)は否認する。会社が申請人森、同片岡の組合活動を嫌悪したことも、民青を嫌悪してこれを弾圧したこともないことは前記のとおりであり、右両名が地労委で証人や補佐人となつたことにつき問責したのは組合であつて会社は全く関知していない。
三、仮処分の必要性に関する答弁
申請理由第三項のうち申請人ら三名にそれぞれ解雇時まで毎月二〇日締切で賃金を支給していたことは認めるが、その余は否認する。解雇前の平均賃金は申請人塩見が一ケ月一七、五二〇円、同森が二〇、七三五円、同片岡が二〇、六〇九円である。
第四、参加人の申請人森、同片岡の主張に対する答弁と主張
一、申請理由第二項3のうち申請人塩見が懲戒解雇されたこと、同人が地労委に救済を求め、申請人森、同片岡がその証人、補佐人となつたこと、除名の経緯、除名理由、除名に基づき会社が申請人森、同片岡を解雇したことは認めるがその余の事実は否認する。
二、参加人が昭和三八年一二月二九日参加人組合臨時大会において、申請人森、同片岡を除名するにいたつた経過はつぎのとおりである。
1、塩見事件の発生と組合の態度
昭和三八年六月一九日、当時の参加人組合の副委員長であつた塩見修より、組合事務所に、会社から塩見修が入場を禁止された旨の電話連絡があり、つづいて翌二〇日、会社から組合に対して、書面をもつて塩見修を入場禁止にしたこと、賞罰委員会を開催することの通知があつた。その理由は、塩見修が「昭和三八年六月一四日付全員生産性向上カードに一日管理者として不真面目極まる提案をし、右提案前に職場の友達等にこれを読ましめる等、職場秩序を乱す行為を行なつたものである。」というのである。
同年六月二二日に開催された第一回賞罰委員会においては、会社から事実の概要についての説明があり、懲戒解雇の提案がなされたが、組合は若干の質問をした後、組合執行委員会において検討することとして散会した。同日組合は塩見を呼んで事情を聴取し、その結果にもとづいて二四日の第二回賞罰委員会においてさらに会社に対して質問をした後、同日の執行委員会で賞罰委員会に臨む態度を決定した。
執行委員会では、「塩見君のとつた行為は、組合員として、従業員として、単にいたずらや落書きとしてすまされない。組織としては善悪ははつきり判断すべきであり、酷だけれども会社の処分もやむを得ない。」という見解と、「塩見君は普段から会社にねらわれていた。よつて今回の処分は不当労働行為である。故に首を守る必要がある。」という見解とが分れ、事案の性質上挙手採決で態度をきめることも問題があると考えられたので、執行部としてはつぎの態度で賞罰委員会に臨むこととした。
(1) 今回の塩見修君の件に対して執行部で種々検討したが、結論はまとまらなかつた。
(2) 従つてこの問題の結論には、現段階の執行部としては関知しない。
(3) ただし、今後職場委員会、大会において問題となつたときは、また話し合いをすることもありうる。
(4) しかし現段階においては、今後機関で問題になることがないという前提でこの件に関する賞罰委員会はこれで打切りたい。
組合は、同日開催された第三回賞罰委員会において、会社に対し右態度を表明したのであるが、右決定は同日組合掲示板に告示され、さらに同年八月二三日開催された組合第七回定期大会において報告され、承認を受けている。
右経過によつて明らかなように、塩見事件に対する組合の態度は、塩見修を支持すべきか否かを明らかにすることを不適当とするとの前提に立つものであり、当時組合執行委員長および同書記長の職にあつた申請人森、同片岡がこの決定を遵守すべき責任を有していたことはいうまでもない。
2、「塩見君を守る会」と組合の態度
前記第三回賞罰委員会の後同年六月二五日、会社は塩見修を懲戒解雇に処したが、その後七月二二日、会社通用門において、昭和三八年七月二二日付「守る会ニユース」第一号が配布された。以後同年一〇月五日までの間に「守る会ニユース」は第四号まで配布されたが、その内容に組合を誹謗し、組合の内部干渉にわたるところがあり、組合員、あるいは組合の安全推進委員からも、このような「守る会ニユース」に対する組合としての態度を明確にせよとの強い要望があつたので、組合は一〇月一八日の執行委員会において「塩見君を守る会」に抗議することを決定した。
右執行委員会の決定にもとづき、同年一一月二日、組合執行委員長たる申請人森、副委員長今西、同川村、書記長たる申請人片岡らは、大津市教育会館内に「塩見君を守る会」を訪れ、(1)「守る会ニユース」は組合に対する内政干渉である。(2)「守る会ニユース」は組合を甚しく侮辱するものである。(3)「守る会ニユース」のニユースの出所を明らかにせよ(内部のものでなければ知らない事実が記載されているから)との抗議を行なつたが、「塩見君を守る会」側では言を左右にして応ぜず、その後も「守る会ニユース」はひきつづいて発行され配布された。
3、申請人森、同片岡の不信任問題
このような状態の中で申請人森、同片岡不信任問題が発生した。即ちさきの第七期定期大会において、執行部は塩見事件について再度検討すべきであることが決定され、その後執行委員会として検討をかさねたが、結局「関知しない」との態度のままとなつていた。しかるに「守る会ニユース」に対する抗議をめぐり、組合員の中の憤激がしだいにたかまり、同年一一月六日組合職場委員会において
(1) 事件発生後五ケ月を経過している。
(2) 定期大会においても決定されたことである。
(3) 「守る会ニユース」はますます組合を侮辱し、内政干渉も激しくなつてきている。
(4) 組合員の動揺もはげしく、事件解決のめどを明らかにすべきである。
の要望を決定した。これに対して執行委員会は、「塩見事件は職場委員会に一任し、執行委員会としては結論を出さない」との態度を決定した。これよりさき、塩見修が前記懲戒解雇を不当労働行為として地労委に救済申立をするや、申請人森、同片岡は右申立事件において塩見修の補佐人となつていたが、同年一一月二〇日組合職場委員会は、前記執行委員会の態度を不満とし、執行委員会として結論をだし得ないのは、「塩見事件には関知しない」との組合決定にもかかわらず申請人森、同片岡が組合執行委員長、同書記長の職にありながら不当労働行為事件において塩見修の補佐人となつているためではないかとの意見が表明され、討議の結果、職場委員会として、「塩見事件の補佐人となつたことは組合大会の「関知しない」との決定に違反するものである」との結論に達した。
そこで、職場委員会は翌二一日、申請人森、同片岡の組合決定違反についての取扱を検討したところ、右行為は組合規約第四〇条第二号「組合の決定に従わなかつたもの」同第四号「組合の体面を汚したもの」に該当するものと決定され、これに対する処分として除名すべきであるとの意見もあつたが、会社と組合との間の労働協約によれば除名は解雇をもたらすものであるから、それより軽い処分をすべきではないかとの意見がだされた。そして、当時の組合規約によれば組合役員に対する「不信任」は懲戒処分ではないが、今回は「不信任」を処罰と解し、森、片岡に対する不信任を大会に提案すべきであることを決定した。しかし右決定直後、森、片岡が、不当労働行為事件の補佐人をやめ、今後反省すべき点は反省していきたい、役員を辞任すると表明したので、不信任は大会に上程されることなく終つた。
4、本件除名にいたる経過
申請人森、同片岡両名の役員辞任の後、残留執行部は塩見修事件の収拾に全力を注ぎ、その結果会社、塩見修の両者に和解を勧告することとし、和解案を作成して昭和三八年一二月一三日職場委員会の承認を得て、同月一七日の組合大会に提案した。
同大会においては、長時間にわたり質疑、応答、討論が交され、賛成、反対の意見が表明されて採決に入ろうとしたところ、申請人森、同片岡は突然「この解雇は無効である。予告手当を支払われているが、懲戒解雇とは監督官庁の認定をうけ、手当なしで首にすることである。会社は認定をうけていないことが昨日調査の結果判明した。執行部の提案は取消すべきだ」と発言し、この発言をめぐつて議場は混乱し、執行部は事態収拾のため、発言内容について事実を調査することとした。
しかるに、翌一二月一八日執行部が大津労働基準監督署その他を調査したところ、解雇予告手当を支払つて解雇するときには行政官庁の認定を要しないとの見解をえたほか同日まで塩見修の解雇につき認定の有無の調査が何人によつても行なわれたことがなく、ただ、同日になつて電話による問合せがあつたにすぎないことが判明した。
事の意外におどろいた執行部は、右事実を翌一九日の職場委員会に報告し、申請人森、同片岡の前記大会発言は、虚偽の事実によつて大会の運営を故意に妨害したものであると判断し、ここにいたつては、両名の組合統制違反の事実の有無を具体的に調査して組合としての態度を決定せざるをえないものと判断した。そこで、職場委員会の議事運営委員会は、調査審議の結果申請人森、同片岡の統制違反の事実七項目(本件除名事由(1)乃至(7))を確定し、同月二五日の職場委員会に提案し(翌二六日新たな事実が判明したので(8)を追加)、同日、翌二六日、同月二八日の三日間にわたり森、片岡本人の弁明を求めた上、同月二九日の大会において除名を決定したものである。
三、1、除名事由は申請理由第二項3、(一)(1)ないし(8)に掲げているとおりであり、これらはいずれも前記経緯および左の理由により有効である。即ち、
(一) 除名理由の(1)については申請人森、同片岡は前述のごとく組合臨時大会まで大津労働基準監督署まで赴いて調査したこともなく、大会において討論の過程でその点の指摘をせず、採択の段階で虚偽の主張をしたことは単なる組合員の意見表明の自由の行使でなく、故意に大会の運営を妨害した行為と認めざるを得ない。
(二) 除名理由の(3)については、組合が関知しないという態度をとつたのは、申請人主張のように執行部内部が分裂して組合としての態度がまとまらなかつたためではない。組合としては申請人塩見の行動を検討した結果解雇もやむを得ないという見解に傾いていたが、組合員の解雇に積極的に賛成するのは妥当でないので、会社に対しては前記四項目の回答をしたものである。従つて単に右問題について各人の自由な見解に委ねるという趣旨ではなく、まして一般組合員と異なり、組合の責任ある地位にあつた申請人森、同片岡が塩見事件につき地労委で補佐人となることは単なる個人の自由ということはできず組合の決定違反となることは明らかである。さらに申請人らはこの点は執行委員会でも了承されていたというがそのような事実はない。申請人森が地労委で証人として証言した際執行委員会の一員が傍聴していたということだけで執行委員会が両名の補佐人就任を承認していたということはできず、また申請人森が同年一〇月二日の執行委員会で補佐人就任を報告したこともなく、単に執行委員会が終了後の雑談の際話題に上つたにすぎない。
(三) 除名理由の(4)については申請人森、同片岡の弁明書は右両名が弁明書を出させて貰いたいといつてガリ版を切り(組合としてガリ版を切つたのではない)、持つてきたので、組合はその印刷配布について便宜を与えたにすぎず、組合として配布したものではない。またその内容については「むしろ塩見君の首を守らないことにするためになんとか理由をつけて努力している人々こそ労働者としての姿勢を疑いたくなります」と公然と組合の方針に反対し執行部を非難しているものである。
その余の除名理由については、事実そのとおりでありそれぞれ除名理由として正当なものである。
2、二重処罰の主張について、
昭和三八年一一月二一日の組合職場委員会において、申請人森、同片岡の統制違反行為とされたのは本件除名理由八項目のうち(3)の事実のみである。従つてかりに申請人主張のごとく二重処罰であるとしても除名理由(1)(2)(4)ないし(8)によつて申請人森、同片岡は充分除名に値するものである。のみならず右職場委員会の決定は処罰ではなく本件除名はいずれの除名理由についても二重処罰に当らない。たしかに右職場委員会においては審議の過程において除名と不信任とが対置されたことは事実である。しかし組合規約によれば処罰の種類は訓戒、罰金、権利の一時停止、除名の四種類であつて、不信任という処罰は存在しないし、また役員の罷免は大会の権限に属するものであつて職場委員会の権限ではない(組合規約第二三条、第二七条)。従つて職場委員会としては申請人森、同片岡に対して不信任を決議し、これを大会に提案するところであつたが、右両名が自発的に役員を辞任し、今後組合員個人として組合のために働きたいと発言したので、本人の意向を尊重し、不信任案の大会上程を取消したものである。然るに同人らはその後も何ら反省するところがないので本件除名をするに至つたのである。
3、本件除名が信条を理由とするものであるとの主張について、
本件除名理由はいずれも申請人森、同片岡の具体的な組合規約違反を理由とするものであつて信条を理由とするものではない。除名理由(7)も同人らが「仕事をさぼることを宣伝した」動機として特定の政治活動をあげたにすぎず、政治活動そのものを除名理由としたものではない。
4、除名権、統制権濫用の主張について、
組合の除名の当否は、ユニオンシヨツプ協定の存否と関係なく判断されるべきであり、ユニオンシヨツプ協定が存在するからといつて特に除名の要件を厳格にすべきものではない。かりに申請人ら主張のようにユニオンシヨツプ協定が存在するときは除名の要件を厳格にすべきだとしても本件における申請人森、同片岡の行為は除名に相当するものであつて、本件除名は除名権、統制権の濫用ということはできない。
5、会社の不当労働行為ないし信条による差別の主張について、
本件除名は参加人組合が、前述のような理由により独自に行つたものであつて会社の意向とは何ら関係がない。
申請人ら主張の会社の行為は参加人としては知らない。
第五、疎明<省略>
理由
一、申請の理由一、(会社従業員数を除く)及び申請人らの組合役職歴については当事者間に争いがない。
よつてまず申請人ら三名が共通に解雇無効理由の前提として主張する申請の理由二、1、について判断する。
成立に争いのない甲第一四号証、証人川村孝士の証言(第一回)とこれにより成立の認められる疎甲第一〇号証、疎丙第一二号証、証人宮田新太郎、同安村勝好、同田中茂、同今江伊三雄、同高井源喜、同森みちの各証言、申請人ら各本人尋問の結果に前記争いない事実を総合するとつぎの事実が一応認められる。
申請人森茂樹は昭和三二年ころ臨時工の解雇があつたことや当時の昇給額が低かつたことなどから被申請人会社従業員の利益を擁護すべく、従来存在しなかつた右従業員をもつて構成する労働組合の結成を思い立ち、初代執行委員長となつた申請外児島俊次らと謀つて有志の説得など労働組合の結成を推進し、昭和三三年二月に西日本精工労働組合(組合)が結成されるや、初代副執行委員長に選ばれ、以後昭和三八年一一月二一日執行委員長を辞任するまで、一年間を除き副執行委員長、執行委員長などを歴任し、一貫して組合の中心にあつて活躍してきたもの、申請人片岡は昭和三五年八月及び昭和三六年八月いずれも執行委員に選ばれ、昭和三七年八月から昭和三八年一一月二一日その地位を辞任するまで書記長その他の役職をも兼ね申請人森を助け組合のため活動してきたもの、申請人塩見は昭和三七年八月副執行委員長に選ばれ、昭和三八年六月二五日会社を解雇されるまで右地位にあつたものである。そして組合は昭和三六年の春闘で結成以来始めてのストを行いその他会社との交渉により、賃上げや労働時間の短縮、有給休暇日数の増加、生理休暇を無給から有給に、女子の定年制の延長等、組合員の労働条件を改善する多くの成果を得た。ところで申請人森は昭和三五年六月ごろ、同塩見は同年一〇月ごろ、同片岡は翌三六年夏ごろいずれも民主青年同盟(民青)に加入し、組合の運営につき志を同じくしてきた。他方会社は、民青は共産党の下部組織であつてその思想、信条において会社に好ましくないものとして、会社従業員(組合員)が民青に加入しあるいはこれに同調することを警戒し、組合に申請人らの属する民青の勢力が滲透することを嫌つていた。このことは昭和三五年八月二一日から二三日まで、滋賀地評青年婦人部主催で伊吹山で行われた「山の集い」に申請人片岡ら組合員一〇名余が参加したところ、会社ではこれが民青の主催のもとに行なわれたものと誤解しその直後に総務課長あるいは職制を通じ、同申請人ら(当時同申請人は民青に加入していなかつた)参加者に対し、「山の集い」は民青の主催であり、かゝる会合に参加することは好ましくない旨の注意を与え、また昭和三七年一月二四日申請人森、同片岡らも参加し大津市民文化会館で民青の旗開きなる会合が行なわれたとき、会社はその会場付近に守衛二名位を差し向けその動静をうかゞわしめたこと、その他会社側は昭和三六年六月ごろから同三八年六月ごろまでの間において、民青に加入しあるいはこれに共鳴する動きを見せる組合員に対し直接にまたは家族を通じ民青を脱退するよう説得したことなどの一連の事実により明らかである。
以上の事実が一応認められ、右認定に反する証人岡田四郎、同山口正義(第一、二回)、同朝比奈俊夫、同西村輝男(第二回)、同目片康雄の各証言はいずれも措信しないし、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。
二、つぎに申請人塩見の懲戒解雇の当否につき判断する。
1、申請人塩見は昭和三八年六月会社の大津工場第二工作課第一係外輪溝研磨(A溝)一班に所属していたが、当時会社では生産性向上運動を実施中で、その運動の一環として従業員を順次一日管理者に任命し、作業の改善、安全その他の希望等についての提案を「全員生産性向上運動カード」に記入のうえ上司に提出させていたこと、同申請人が同月一四日ごろ右カードに別紙添付書面記載のような記入を為し、該カード(以下単に本件カードという)を同僚に見せたことは当事者間に争いがなく、証人鳥居忠雄の証言によれば、当時同申請人の上司たるA溝班長心得であつた鳥居忠雄が昭和三八年六月一七日午前八時ごろ始業時の点呼の際、常時出勤簿等を置く現場の記録机の上に備えてあつた点呼簿の最後の頁のところに裏向けに本件カードが挾まつてあるのを発見したことが認められ、これに反する疎明はない。
申請人塩見は、本件カードは単に落書きをしたものでこれを右記録机の上に放置したにとゞまり、会社に提出したものではないと主張する。しかし成立に争いのない疎甲第一、第六号証、疎乙第三号証、証人岡田四郎の証言とこれにより成立の認められる疎乙第一二号証、証人平田博の証言とこれにより成立の認められる疎乙第七号証、証人西村輝男(第一、二回)、同鳥居忠雄、同山口正義(第一、二回)、同松永俊生、同山本宏一の各証言、申請人塩見修本人尋問(一部措信しない部分を除く)の結果に前段認定の事実を総合すると、会社では昭和三八年一月から全員生産性向上運動を実施したが、その目的とするところは設備の近代化、技術の革新に呼応して従業員の創意工夫を工場管理に反映させ、工場の作業および運営の合理化をはかるとともに明かるい職場環境を作り、もつて生産性の向上と製品価格の引下げをはかり同業者との競争に耐えることにあり、会社がその親会社である日本精工株式会社に倣つて始めた重要な施策の一つである。その具体的な方法として課長、係長を除く全従業員を十ブロツクに分け、各ブロツクごとに毎日一名ずつ一日管理者を任命し、当日その者に腕章と提案カード用紙を交付し、一日管理者となつたものは右カードに作業上の改善、事務の合理化、安全衛生等に関する提案や職場の希望等を記入してこれを翌日退社時に腕章とともに班長のもとに提出することを会社から命ぜられるわけであるが、その性質上、提案事項を考えつかない者まで右カードの提出を強制するものではなく、提案する者も事実上一週間ないし一〇日位遅れて提出する者が多く、また一日管理者に任命されなくとも、随時右カードによる提案をすることも可能であつた。そして申請人塩見の所属するA溝においては、一日管理者となつたものは右提案カードを直接班長の手許に提出するのが通常であつたが、班長不在のときなどは班長の管理する前記記録机の上に提出した事例も極めて稀に存在した。申請人塩見は同年六月六日一日管理者に任命され提案カード用紙を交付されたが、前記提案をすることなく過し、同月一二日ごろたまたま現場作業机の中にあつた提案カード用紙に鉛筆で本件カードの記載内容とほぼ同一趣旨の記載をしてそのころこれを同じ職場の同僚に示したうえ、さらに同月一四日夕刻隣接職場の班長である訴外西村輝男に怪我をしない方法につき提案したいと述べて同人から提案カード用紙の交付を受け、そのころこれに前記鉛筆書きのカードをペンで自ら書き直し、日附も職場も明記し署名もして別紙添付書面に記載されたような内容とし、これ(本件カード)を再び右同僚に示した。そして同申請人は右鉛筆書きの提案カードないし本件カードにつき、通りかゝつたものを呼び止めたり、見易いように通路の黒板や図板に置くことによつて同じ職場の同僚十数名のほとんど全員にこれを示し、鉛筆書きの右カードはそのころ破り棄て、本件カードは同月一五日ころ、上司の鳥居班長心得が不在のとき同人の管理している前記記録机の上に置いてあつた点呼簿の最後の頁のところに挾んでおいたもので、翌一六日(日曜日)は会社の休日であるところ、翌々一七日朝八時ごろ右鳥居が前記記録机上の点呼簿の中の前記箇所に本件カードを発見したことが疎明せられる。
以上認定のように、本件カードにはそれ以前に鉛筆書きの下書きのものがあり、申請人塩見はこれを同僚に示したのちさらに、提案したいといつて用紙の交付を受けてペンで清書したのであつて、前記疎乙第三号証によれば、本件カードのうち別紙添付書面の四の記載事項のごときは、かゝる方法で会社に訴えることの当否は別として、その内容は労働者が使用者に対し通常主張することであり必ずしも不真面目な文意を含むものではないことがうかゞわれるのであり、その他前段認定の諸般の事実を総合すれば、申請人塩見は、本件カードを前記記録机の上に放置或は置き忘れたものではなく、同人が周囲の同僚に示した上、発見せられることを予期して秘かに右机上の点呼簿の中に挾んでおいたもので、したがつて同人にはこれを上司を通じ会社に提出する意図がなかつたものではないと推認するのが相当である。申請人塩見、同森、同片岡の各本人尋問の結果中以上認定に反する部分は措信できないし、他に右認定に反する疎明はない。従つて申請人塩見のこの点に関する主張は採用できない。
2、そして会社が同年六月一九日申請人塩見を呼出し本件カードにつきその供述を求めてこれを調書にとり同申請人の署名を求め拒否されたこと、会社が同日同申請人に対し一週間の入場禁止を言渡したこと、同申請人の懲戒に関し同月二二日及び同二四日賞罰委員会を開いたこと、会社では同月二四日同申請人に依願退職を勧告したが拒否したので翌二五日同申請人主張の理由で同申請人を懲戒解雇したことは当事者間に争いがない。
(一) そこでまず同申請人の前記行為が就業規則第五五条第三号にいう「職務上の指示に不当に従わず、職場の秩序をみだしたとき」または同条第四号にいう「著るしく秩序風紀をみだす行為をしたとき」に該るかどうかを考える。
会社は、従業員が提案制度に参加し自己の着想をまとめて提案することは重要な職責であり、その提案が内容において価値のあるものであることが、右職責を忠実に遂行したことに帰するというべきであるところ、申請人塩見の本件カードによる提案は、その内容において無価値であるにとゞまらず、右提案制度を否定する内容のものであるうえ、同申請人は右提案にさきだちこれを同僚に誇示、吹聴して右制度に反対することを扇動したから「職務上の指示に不当に従わず、職場の秩序をみだした」ものであると主張する。そして前記疎甲第一号証、成立に争いない疎乙第一四号証の一、証人岡田四郎の証言により成立の認められる疎乙第一四号証の二、同第一五ないし第一九号証の各一、二に同証人の証言を総合すると、従業員から前記のような提案カードが提出されると、その所属の班長、係長、課長または関係部署において提案事項についての対策を右カードに記入し、これを工場長または部長に回覧し工場長らは右カードに記入された提案に対する対策が適切か否かを検討し、内容によつてはこれが実施責任者と実施期日を指示した記入をして、これを再び提案者に返し、提案者はこれを点検したうえ右カードは労働課に再提出する扱いであり、昭和三八年度において二ケ月ないし三ケ月に一回一日管理者に任命された従業員(六〇〇名余)のうち約七〇%(一九〇〇件)がなんらかの提案を行い、その中には作業能率の改善につき極めて適切有効な提案もなされてこれが採用されたことが一応認められる。そして右提案はその性質上強制していたものではないが、会社が業務の円滑な運営を図るため一般従業員にこれを命じていたものであつて通常の業務に附随してかゝる指示をすることも当然許されるというべきであるから、使用者が雇傭契約に基づき労働者に課する通常の職務上の指示命令とはいさゝかその性質を異にする点はあるけれども、右の職務上の指示命令に準ずるものとして従業員はこれに従う義務があると解すべきである。よつて提案制度の趣旨からみて、従業員が提案事項がないためこれに参加せず、あるいは提案はしたが価値がないものである場合はやむを得ないとしても、少なくとも右提案に応ずる場合には、真摯な態度で臨むべきであつて不真面目な態度でこれに応ずることないしはことさら提案制度や会社の企図する安全ないし生産性の向上を妨害あるいは阻止することは、職務上の指示に従わなかつたものというべきである。そこで申請人塩見の提出した本件カード(疎乙第三号)の内容をみると、別紙添付書面記載のとおりであり、その第一、第三はいずれも安全に関し、第二は生産性向上に関するもので、会社が企図した前記提案制度の趣旨からみて右記載はいずれも無価値であるのみか、安全や生産性の向上に関する会社の意図をいたずらにやゆ、嘲笑したものに外ならず、提案に臨む態度としては著しく真面目さを欠くとの譏りは到底免れない。したがつて安全や生産性の向上を企図する会社側に対し、これを侮辱したものとして極めて不快な感情を与えたことは証人山本宏一の証言によりこれを推認するに難くないのであるが、反面明らかにその内容においていわゆる落書に類するものもあり、さきに認定したように本件カードないしその下書きとみられる提案カードを示した範囲も狭く、その提出も通常の方法をとらずカードをひそかに上司の不在中その机上の帳簿中に挾み置くという異例の方法によつたもので、提出の時期も一日管理者に任命された直後ではなく、すでに一週間を経過しているのであつて、これらの点からみると、同申請人の本件カードないしその下書きとみられる提案カードの作成及び職場の同僚十数名にこれを示した所為は会社の生産性向上運動を積極的に阻止妨害せんとの意図に出たわけでなく、悪戯意識の余りに為したものと推認されるのみならず、証人山口正義(第一回)、同平田博の各証言によれば右カードを示された同僚のうちある者はこれを見て不快の念を懐いたことは一応認められるけれども同申請人の右行為により同僚が生産意欲を殺がれたりあるいは提案制度に参加しようとする意欲が衰えたり、その他会社業務の遂行に支障を生じたことないし職場における秩序が乱されたというごとき実害の生じたことについての疎明はない。然らば同申請人の右所為が、真摯な態度で前記提案制度に参画しようとする者に心理的に幾許かの動揺を与えたとしても、成立に争いのない疎乙第二号証に徴し会社の就業規則に定められた懲戒処分中譴責、減給または出勤停止のいずれかに該当すると見るは格別、之をもつて右就業規則第五五条第三号第四号にいう懲戒解雇に該当する行為があつたものとはとうてい解されないのであり、本件カードの提出直後において同申請人が会社に対し自己の所為につき反省の態度を示さなかつたことは証人山口正義(第一回)の証言により一応認められるけれども、このことによつて前記結論を左右するものとも解されない。
よつて結局本件懲戒解雇は就業規則の適用を誤つたもので、この点において無効というべきである。
(二) つぎに申請人塩見の前記行為自体が組合活動であるとする同申請人の主張は暫く措き本件懲戒解雇が不当労働行為ないし信条による差別にあたるとの主張について判断する。
会社が民青およびその勢力が組合に及ぶことを嫌つていたことはさきに認定したとおりで、このことは民青に加盟している同申請人らの組合活動を嫌悪していたことを一応推認させるものである。ところで被申請人は同申請人の勤務成績が不良であつたことも右解雇を選んだ遠因であるかのように主張し、証人松永俊生の証言により成立の認められる疎乙第二五号証の一ないし五、第二八号証に同証人、証人岡田四郎、同平田博、同鳥居忠雄、の各証言を総合すると、同申請人には無断欠勤や、始業開始前に行なう点呼遅刻が多く、作業能率も劣つていたことが一応認められるが、右各疎明に同申請人本人尋問の結果を総合すると、無断欠勤が多いというのは従来休暇をとる際事後の届出で足りていたのを、就業規則どおり事前の届出がやかましくいわれるようになり、同申請人が事後に届出たものが無届欠勤とされたもので、その回数も他に比べて著しく多いという程ではないこと、点呼遅刻なるものは、職場での点呼を出勤時間である八時の二分前に行つていた結果、八時までに出社しても現場での点呼に間に合わないと遅刻とされていたもので、いわゆる賃金カツトの対象とされる遅刻ではないこと、作業能率も他に比して劣るところはあるが過去において同申請人は懲戒処分を受けたこともないことが一応認められるのであつて、同申請人の勤務成績が余り良好でなかつたとしても、それが特に批難され、本件カード事件と相まつて懲戒解雇されてもやむを得ない程度のものであつたとの疎明はない。してみると、会社がさきに認定した程度の本件カード問題をとりあげて直ちに同申請人に対し入場禁止の措置をとり、且つ右問題発生後僅か一週間程で、懲戒解雇の措置をとつたのは、同申請人が民青に所属し、活溌な組合活動をしたことを平素から会社が嫌悪していたことを除外しては到底理解できない。したがつて会社をして早急に懲戒解雇に踏切らしめた背後には右事実が決定的な動機を為していたものと一応認めざるを得ない。
よつて申請人塩見の懲戒解雇は組合活動を理由としてなされた点で労働組合法第七条第一号違反の不当労働行為となるほか信条を理由としてなされた差別待遇である点で労働基準法第三条に違反し、これらの観点よりするも、右解雇は無効なものという外はない。
(三) つぎに労働協約上の手続違反の主張について判断する。成立に争いのない乙第一、第二号証によると労働協約第二七条四号、就業規則第五三条四号に、「懲戒解雇は監督官庁の認定を受け、予告期間を設けず予告手当を支給しないで解雇する」と規定されていることが認められ、同申請人の懲戒解雇にあたり右除外認定を受けていないことは当事者間に争いがない。
会社は右規定をもつて労働基準法第二〇条三項の義務を使用者の義務としてまた定めたにすぎないというが、第一に懲戒解雇は労働基準法上の即時解雇としての面をもつにとどまらず、通常、退職金に関する労働者の権利を喪失させ、再就職の際にも不利益に評価される等将来にわたつて労働者の社会的信用に影響を及ぼすものであるから、労働基準法の右法条を単純に移しかえたものとしたのではまかなえない面が残るものといわねばならない。第二に懲戒処分は労働者にとつて刑事裁判に比すべき不利益処分であるから、予め明確に定められた懲戒規定(実体規定および手続規定を含む)によつてなされなければならずその解釈に当つては文理上当然導き出されるところに従つて解釈されなければならないと解されるところ、右労働協約、就業規則上の規定は、文理上も、除外認定を受けずに予告手当を支払つて懲戒解雇できる趣旨のことは全く読みとれない。第三にその歴史的沿革、社会的機能からみて労働協約、就業規則中の労働条件に関する規定は使用者の恣意的判断から労働者を守ることが最も重要な存在理由とされているのであるからその解釈に当つては労働者を保護する方向に厳格になされなければならない。以上の理由から労働基準監督署長の除外認定を受けない懲戒解雇は、これと異つて解釈すべき特段の事情の認められない限り原則として無効と解すべきところ、申請人塩見の懲戒解雇につき会社は労働基準監督署長の除外認定を受けていないのであるから、特段の事情のない本件にあつては解雇の意思表示はその効力を生じなかつたものといわねばならない。
よつて爾余の点につき判断するまでもなく申請人塩見の懲戒解雇は無効であることが明らかである。
三、つぎに申請人森、同片岡の解雇について判断する。
申請人塩見が懲戒解雇された後地労委に救済を求め、申請人森、同片岡がその証人、補佐人となつたこと、申請人森、同片岡が昭和三八年一二月二九日組合を除名され、会社がユニオンシヨツプ協定を理由に昭和三九年一月九日付で右両名を解雇したことは当事者間に争いがない。そこでまず解雇無効の前提として組合の除名無効が争われているからこれについて判断する。
申請人森、同片岡が除名されるに至つた経過については、証人川村孝士(第一回)の証言により成立の認められる疎甲第一〇号証、疎丙第一二号証、成立に争いない疎甲第二、第一二号証、疎丙第一ないし第三号証、同第四号証の一、二、同第五号証、同第六号証の一ないし六、同第九、第一三、第一七号証、疎乙第二〇号証に同証人(第一、二回)、同今江伊三雄、同藤森寛、同山口正義(第一回)、同末永稔、同福井孝次、同磯田英清(第一、二回)、同安村勝好、同森みち、同高橋三喜男、同斎藤米三、同西村輝男の各証言、申請人ら三名各本人尋問の結果と前記認定の諸事実を総合するとつぎのとおりであることが一応認められる。
会社では昭和三八年六月一九日前記のように申請人塩見のカード問題が生ずるや同申請人に対し会社内にある組合事務所を含め会社への入場禁止の措置をとつたので、組合は右は一種の処分であり組合に連絡なくして右措置がなされたことを会社に抗議したところ、会社は翌二〇日組合に右措置をしたことを通知するとともに同申請人に対する懲戒につき賞罰委員会を開催する旨通知した。賞罰委員会は会社が社員の賞罰を行なうための諮問機関で、会社側五名組合側五名の委員をもつて構成され、当時組合側の委員は執行委員長たる申請人森、執行委員たる申請外川村孝士、同石田和正ほかであつた。同月二二日開かれた第一回賞罰委員会には組合側から右三名が出席し会社側から申請人塩見の作成した前記カードが提出された経緯の説明があり、即日組合側でも社外で執行委員会を開き同申請人からカード問題についての経緯の説明を求めたところ、同人は右カードは落書して記録机に置いたにとゞまり会社に提出する意図がなかつたと弁明した。同月二四日開かれた第二回賞罰委員会の席上組合側の申請人森は申請人塩見の行為につき一部悪い点はあつたが、カードを同僚に示したことは会社の主張する扇動に当らぬと述べ、川村及び石田らは申請人塩見の行為は甚だ遺憾であつた旨の意見が述べられた。そこで組合側ではこの問題についての最終的態度の決定をする必要に迫られ同日右委員会終了後執行委員全員九名が出席して申請人森が議長となり執行委員会を開いたところ、申請人塩見の行為は単なる落書ではすまされないから、同申請人を懲戒解雇にしようとする会社の措置はやむを得ないとする多数意見と、会社の右措置は不当労働行為であり反対すべきであるとの申請人森、同片岡ら二、三名の少数意見が対立したが、事柄の性質上採決により結論を出すことは好ましくないとして、執行部の態度として、現段階ではこの問題について関知しないことなど四項目の決定をし、同日午後開かれた第三回賞罰委員会の席上組合側からその旨の意見が述べられ賞罰委員会が終つた。
翌二五日会社は申請人塩見を懲戒解雇したところ、同年七月ごろ申請外藤森寛を会長とする「塩見君を守る会」(以下単に守る会という)が結成され、資金カンパや守る会ニユースが発行され同月下旬から会社従業員らにも申請人塩見の解雇が不当と訴えた守る会ニユースが配布されるに至つた。ところで組合内部にはかねてから申請人らの属する民青の勢力を組合から排除しようとする動き(反森派)があり、昭和三八年七月行なわれた組合役員選挙においても、民青排除を公約にかゝげ役員に立候補するものもいたところ、右選挙の結果民青所属の申請人森は執行委員長、同片岡は書記長に再選されたものの、役員はいわゆる反森派が圧倒的多数を占めたが、組合内部におけるかゝる対立が本件問題の発生の背景をなしているのである。ところで同年八月開かれた組合定期大会において申請人塩見問題についての組合執行部の前記措置が承認されたがなお一度執行部で検討しその態度を明確にすべきであるとの意見が出されたので、その直後組合の執行委員会が開かれたが依然「関知しない」との態度をそのまま維持することにした。そして守る会ニユースは引き続き会社通用門前で組合員に配布されていたのであるが、同年一〇月五日ごろ配布された守る会ニユース第四号(丙第六号証の四)に「社長が喜ぶ組合ではダメ」と題し、現組合が組合員の利益を守つていないし一部組合員は組合に不信の念を抱いている旨の記事及び「安全推進委員に分裂教育」と題し、会社の各職場から代表に選ばれ安全につき留意することになつている安全推進委員に対し、会社が組合の団結を弱めるための分裂教育をしている旨の記事が載せられたところから、組合執行部では安全推進委員の連名による要望もあつて同月一八日守る会に対し、右記事が組合に対する内政干渉であり、組合ないし組合員を侮辱するものであるとして抗議をすることに決定し、同年一一月二日守る会に抗議を申し入れたが聞き入れられなかつた。これよりさき申請人塩見は同年六月末ごろ地労委に対し自己の懲戒解雇処分が不当労働行為であるとして救済を申立てその審理がなされていたが、申請人森、同片岡は同年一〇月初旬ごろ右事件につき申請人塩見の補佐人となりあるいは証人に採用されて証言をした。同年一一月六日ごろに至つて守る会ニユースが配布される反面これを反駁するビラが組合員に配布されたりして組合員の間に動揺が生じているとして、組合大会に次ぐ決議機関である職場委員会から組合執行部に対し前記塩見問題についての明確な結論を出すよう要望が出されたけれども、執行部では申請人塩見の解雇処分は止むを得なかつたとする多数意見とこれに反対する申請人森、同片岡らの少数意見が対立したまゝ結論が得られず、同年一一月二〇日開催の職場委員会に臨んだところ、職場委員の中から執行部内の意見がまとまらないのは申請人森、同片岡が地労委において申請人塩見の補佐人となつていることが原因であり、右行為は塩見の処分については組合大会でも承認された「関知しない」との決議に違反するのではないかとの意見が始めて出され、申請人森、同片岡から個人として補佐人になつたもので大会決議違反ではないとの反論が出されたが、同日の職場委員会は同申請人らが右のように補佐人となつたことは組合大会において「関知しない」とした決定に違反するものであると決議した。翌二一日再開された職場委員会で申請人森、同片岡の右行為は処罰規定である組合規約第四〇条第二号「組合の決定に従わなかつた者」同条第四号「組合の体面を著るしく汚した者」に該当するものとして、同申請人らを除名すべきであるとする第一案と除名は解雇に通ずるもので酷であるから、不信任なるものを処罰と解釈して不信任とすべきであるとの第二案につき採決した結果、第二案が二一、第一案が八、棄権一で処罰としての不信任とすることに決定され、同申請人らはこれに服して直ちにそれぞれ組合役員を辞任した。同時に同申請人らは申請人塩見の補佐人をも辞任する旨の意思を表明し、従来の経過につき自己の立場を説明するため組合員に対し弁明書を配布することの了解を得た。このように申請人森らの役員辞任により職場委員会はその決議を大会に敢て上程せず大会には単にその経過を報告することにして、同申請人らに対する責任の追及はこれによつて一応結着し後記の同年一二月一七日の組合大会までこのことは組合内部で問題とされなかつた。申請人森らの右弁明書(丙第五号証)は同片岡が数日後に原稿を書き組合において印刷の便宜を与え同年一二月一二日ごろ組合員に配布され、これと時を同じくして職場委員会でもその態度と同申請人らが役員辞任に至つた経過を説明した文書(丙第四号証の一、二)を組合員に配布した。同申請人らが役員を辞任したのち残留執行部で塩見問題を検討した結果、申請人塩見に対しては、地労委に対する救済申立を取り下げ、守る会から手を引きかつ組合に対し謝罪文を出すこと、会社側に対しては塩見問題の処理において会社が感情的に処理したことや組合との話合が不充分であつたことについての反省を求めるとともにこの問題について事態収拾のためあらためて話合を求めることの和解案を決定し、これを文書(丙第三号証)にして同年一二月一七日開催の組合大会の前日組合員に配布したのち、右大会に右執行部の決定を提案した。右大会は同日午後四時ごろから開かれ、右和解案を廻る質疑応答がなされたのち討議の段階に移つて数名の賛成意見が述べられたあとの午後七時ごろ、申請人森が立つて新事実ありとの発言をし、「昨日労働基準局で尋ねてみると、労働協約第二七条第四項で懲戒解雇は監督官庁の認定を受けることとされているのに申請人塩見の懲戒解雇に際し会社がその認定を受けていないことが判明した。よつて右解雇は協約違反で無効であり同時に執行部の和解案も無効である」との趣旨の意見を述べた。これに対し執行部あるいは組合員から協約違反ではないとの意見が出され、議長が執行部の右和解案につき採決しようとしたところ、申請人森が自己の意見につき協議すべきであるとの動議を出し、さらにこれに反対する動議も出され、続いて「議場が混乱しているから本日の大会を中止せよ」との動議が出された結果午後八時ごろこれが採択され当日の大会を延期することに決定した。翌一八日組合の役員二名が大津労働基準監督署に赴き係員に質問したところ、申請人塩見の解雇につきいわゆる除外認定をしていないこと、予告手当を支給した場合には除外認定を要しないこと、監督署は懲戒解雇の有効無効を判定するものではないこと、当日までこれと同じ問題につき調査に来た者は無いが約一五分前に同じようなことにつき電話による質問があつた旨の答を得たほか、その他地評事務局あるいは弁護士等で調査した結果も右解雇が労働協約に違反しないとの意見が得られたので、組合執行部でも同じ態度をとることに決した。そして執行部では翌一九日開かれた職場委員会において、申請人森が一七日の組合大会において協約違反の点に関連して偽りの発言をし、申請人片岡、申請外安村らがこれに同調したとして、右三名の処罰(除名)を提案したところこれが容れられ、翌二〇日開かれた職場委員会であらためて申請外安村の罪状は軽いものとして除外し、申請人森、同片岡のみ処罰につき審議を進めることになり、組合規約に則り、当日申請人森を呼び一七日の大会における発言につき弁明を求め、続いて同日開かれた組合大会では、塩見の前記解雇は労働協約に違反していないこと及び執行部提出の塩見問題についての前記和解案を採択し、さらに申請人森らの弁明を求めたが拒否した。そしてその後の同申請人らの処罰に関する取扱は執行部に一任されたので執行部はさらに職場委員の中から選ばれている議事運営委員四名にその取扱を一任したところ、同委員らは一二月二五日の職場委員会の席上、同申請人らの罪状は一七日の大会で偽りの発言をしたことを含め七項目存在するとの調査報告をし、職場委員会は同日から同月二八日までの間に、その間追加された罪状第八を加え同申請人らの主張するとおりの同申請人らの罪状八項目なるものについて同申請人らの弁明や関係者の供述を聞き、同月二九日開かれた組合臨時大会において、執行部から前記罪状八項目に基づき同申請人らの処罰を提案し、討論採決の結果、同申請人らの処罰として除名相当とするもの三〇三票、これに反対するもの二一六票、無効二六票となり、除名が決議されるに至つた。
申請人森、同片岡、証人安村勝好の各供述中以上認定に反する部分は措信できず、他に右認定に反する疎明はない。そこで、右除名理由である罪状八項目につき検討する。
(一) 除名理由の第一(罪状第一、以下同じ)は、申請人森、同片岡が昭和三八年一二月一七日の組合大会において、もと委員長、書記長の地位にありながら、前日に知り得た塩見問題に対する疑義を大会に至るまで提供せず、大会の終局近くに至つて、あたかも労働基準監督署(当時関係者がこれと労働基準局とを混同していたことがうかゞわれるので以下適宜監督官庁という)で前日調査した如き偽りの発言をし議場を混乱せしめたのは組合規約第八条に定めた組合の統制を維持する義務に違反するから罰則規程である同規則第四〇条第一号の組合規約等に背反した者に該当するというのである。
さきに認定した事実、前記丙第二号証及び証人川村孝士の証言(第一回)を総合すると、組合が問題としたのは、申請人森が右大会において(1)監督官庁で調査したところ塩見の懲戒解雇は除外認定を受けていないから労働協約に違反し無効であること(2)右事実は前日監督官庁(同申請人は労働基準局と発言したことはさきに認定した)で調査の結果判明したと発言し申請人片岡らがこれに同調したけれども、組合で調査したところでは、右除外認定を受けていない点は事実であるが(1)については却つて有効であるとの監督官庁係官の説明があり、(2)については少くとも大津労働基準監督署において大会前日までかつてなんぴとからもこの点に関する問合せがなかつたとの回答を得ていたので、以上二点についての右発言は偽りであるとみたこと、しかも同申請人らがかつて組合役員の地位にあつて塩見問題の経過を熟知していたのであるから大会以前または少なくとも右大会開始後質疑応答の段階において疑義があればたゞすべきであるのに、大会終局に近い討議の段階でことさらかゝる発言をして議事の混乱を招来し大会を延期するのやむなきに至らしめたのは組合の統制を乱したものである、というにあることが一応認められる。しかし右(1)の点については、証人藤森寛の証言に申請人森、同塩見各本人尋問の結果を総合すると、守る会の会長である申請外藤森寛はかねて労働基準局に赴き申請人塩見の解雇につき監督官庁の除外認定を受けていないことを確認していたところ、右大会の前日ごろ申請人森に対し右事実を告げ労働協約との関係から除外認定なくしてなされた右解雇には疑義があることを指摘したので、申請人森ははじめてこのことを知り労働協約を検討し右解雇が労働協約に違反し無効であるとの確信をもつに至つたことが一応認められる。かゝる解雇の有効か無効かは説の分れるところであつて、当裁判所はこれを無効と解することはさきに認定したとおりであるが、前記大会の翌日組合において監督官庁係官から却つて有効であるとの回答を得て組合執行部が有効であると確信したのと同様に、申請人森がこれを無効と確信したことも不自然ではないのであるから、この点に関する同申請人の発言内容にはなんら不当な部分は存しないというべきである。また前記(2)の点に関する発言は、要するに監督官庁で調査の結果前記(1)の事実が判明したことを述べようとしたもので、除外認定の有無を調査したのが前記大会の前日ではなかつたとしても、監督官庁で調査をした結果に基づく発言であるから、調査日時のごときは些末な事実であり、この点に関する同申請人の発言内容もまたあながち不当なものとは解されない。さらに申請人森が以上について発言した時期についても、大会提案事項に対する質疑応答の段階と、これに対する賛否の意見を述べる討議の段階とは事案によつてはしかく截然と区別できるものではないと解されるし、同申請人の発言により当日の大会はいわゆる塩見和解案なるものにつき採決できず延会となつたことはさきに認定したとおりであるが、証人川村孝士(第一回)、同安村勝好の各証言、申請人森、同片岡各本人尋問の結果を総合すると、当時組合執行部も前記除外認定の有無につき知らずしたがつて労働協約違反の有無についての確たる見解をもつていなかつたため、これらの事実につき調査するため延会とせざるを得なかつたことが一応認められるのであつて、他に申請人森、同片岡らがことさら右大会を混乱せしめる意図のもとに前記のような発言をしたことを認めるに足る疎明はない。よつて以上の申請人森、同片岡の行為は組合規約第八条に定めた義務に違反しないものというべきであるから、この点に関する組合の除名理由は不当なものというべきである。
(二) 除名理由の第三(罪状第三)は、組合が申請人塩見の解雇につき「関知しない」との決定をした当時、申請人森、同片岡は委員長あるいは書記長でありながら、その後組合機関に諮ることなく地労委における申請人塩見の審査事件においてその補佐人となつたのは、組合規約第四〇条第二号の「組合の決定に従わなかつたもの」に該当する、除名理由の第二(罪状第二)は、申請人森、同片岡は組合の右方針に反し「塩見君を守る会ニユース」に右役員として知り得た情報を提供して発行配布させ、組合を誹謗し、組合員を混乱させたというのである。組合側が昭和三八年六月二四日賞罰委員会に臨むに際して行われた執行委員会で、塩見の懲戒解雇につき「関知しない」ことなど四項目の決定をしたことはさきに認定したとおりであるが、前記丙第三号証によれば、右四項目というのは、
<1> 今回の塩見修君の件に対して執行部で種々検討したが結論はまとまらなかつた。
<2> 従つて、この問題の結論には現段階の執行部としては関知しない。
<3> 但し、今後職場委員会、大会において問題となつたときは又話し合いをすることもありうる。
<4> しかし現段階においては今後機関で問題になることがないという前提でこの件に関する賞罰委員会はこれで打切りたい。
というものであることが一応認められるところ、右執行部の決定は、同年八月の組合大会において承認されたことはさきに認定したとおりであるから、右大会において特段の付帯決議がなされた疎明のない本件にあつては、右執行部の決定は即ち組合の決定としての効力を生じ、組合員は右決定に拘束されるに至つたものというべきである。この点に反する申請人森、同片岡の各供述は採用できない。
右のように「関知しない」とは塩見の解雇につきこれに賛成する態度を示さないことであると同時にこれに反対する態度も示さないという趣旨が含まれているというべきであるから、一般組合員が塩見の資金カンパに応ずるていどのことは別として、いやしくも組合の役員の地位にあつて当初の決議に参画した申請人森、同片岡が、たとえ個人としてでも公的な地労委の審査事件において塩見の補佐人に就任し組合の決定と相反する行動に出たことは組合の決定に違反しその統制を乱す行為といわざるを得ない。しかしながら、さきに認定したとおり、昭和三八年一一月二一日の職場委員会において、同申請人らの右行為が「組合の決定に従わなかつたもの」及び「組合の体面を汚したもの」として不信任とする旨の処罰(同委員会が除名を除く処罰をなしうることは前記丙第一号証の組合規約第四一条により一応認められる)がなされ、同申請人らがこれに服して直ちに役員たる地位を辞任し反省の態度を示し、職場委員会もこれをもつて、一応その責任の追及が終つたものとして処理されているのである。したがつて同申請人らが、その後においてもなおかつ積極的に組合の決定に反し統制を乱す行為があつた場合は格別、そうでないのに後日再び右問題をとり上げこれを処罰することは統制権を濫用した失当のものといわねばならない。そして後記認定のように同申請人らが右処罰後重ねて積極的に組合の決定に反し統制を乱す行為をしたとの疎明がないのである。さらに同申請人らが守る会ニユースに組合役員として知り得た情報を提供し組合を誹謗し組合員を混乱させたとの点については右主張に副う証人川村孝士の証言(第一回)も確たる根拠があるとも解されないので採用できず他にこれを認めるに足る疎明はない。よつて以上第二ないし第三の除名理由はいずれも失当というべきである。
(三) 除名理由第四(罪状第四)は、申請人森、同片岡が役員辞任後配布した弁明書で職場委員や執行委員を誹謗し、組合員と執行部とを遊離せしめようとする等組合の統制を乱したというのである。しかし右弁明書は昭和三八年一一月二一日職場委員会で申請人森、同片岡の不信任の決議がされたのち、その席上で弁明書を出すことの了解を得、申請人片岡が数日後原稿を書き、組合で印刷の便宜を与え、一二月一二日職場委員会の報告等と併せて組合員に配布されたことはさきに認定したとおりである。そして右弁明書(丙第五号証)によれば、その内容は同申請人らが職場委員会で不信任されるに至つた経過と自己の立場を弁明し、さきに認定した「関知しない」との態度を一歩進めて残留執行部が塩見問題に対する最終的な結論を出そうとする動きの出た段階において、組合員に対し、塩見の解雇は不当であるとの見解のもとに、塩見の解雇を積極的に容認しようとする立場を非難し、塩見問題については組合大会において終局的な結論を出すべきであると訴えたものであることが一応認められ、右弁明書は外部に発表せられたものではなく、組合内部に配布されたものであつて、右弁明書の内容において「関知しない」との解釈につき独断的な見解も一部存するけれども、これを除いてはその内容においてことさら組合の統制を乱し、その団結や運営を阻害するものとは認められないので除名理由の第四もまた不当なものというべきである。
(四) 除名理由の第五(罪状第五)は申請人森、同片岡が塩見問題につき「関知しない」という組合の決定に違反し、昭和三八年七月五日滋賀会館で守る会の資金カンパを行つたのは前記組合規約第八条に違反するというのである。しかし資金カンパなるものは、申請人塩見の供述によれば解雇後の同人の生活費等を援助する趣旨も含まれていることが一応認められるから、資金カンパをしたことあるいはこれに応じたことが直ちに組合の右決定に違反し処罰の対象になるかは疑問であるし、そうでないとしても、同申請人が右資金カンパをしたかのごとき証人磯田英清の証言(第一回)は申請人ら各本人尋問の結果に照らしにわかに措信できず、他にかゝる事実があつたことについて疎明はないから、この点に関する除名理由もまた失当である。
(五) 除名理由の第六(罪状第六)は、申請人森、同片岡が、前記弁明書で、組合の運動方針である生産性の向上に反対したというのであるが、前記丙第五号証(弁明書)をみると、同申請人らはたゞいたずらに生産性の向上に反対しているのではなく、生産増加に見合う利潤が労働者に還元されることが少なく災害も絶えないこと等の事態を批判しているのであつて労働者の経済的地位の向上を図るということを第一義とする労働組合の目的に違反するものではなく、生産性向上に賛成する組合の方針というのは前記丙九号証にみる「働くだけ働いて取るだけ取ろう」というスローガンに表わされていると一応認められるが、右弁明書中における同申請人らの主張はこのスローガンと何ら矛盾するものではないというべく、この点に関する除名理由もまた失当である。
(六) 除名理由第七(罪状第七)は、申請人森、同片岡が特定の政治活動を行ないかつ仕事を怠けることを宣伝したのは組合の綱領の三「我々は技術を練磨し、知性を向上し、産業人として恥じのない人格の形成を期する」に違反するというのである。しかし右特定の政治活動がいわゆる「民青」活動をさすことは、さきに認定した昭和三七年八月の組合役員選挙の際の反森派の役員候補の公約および証人磯田英清の証言により成立の認められる丙七号証、同福井孝次の証言により成立の認められる丙第八号証等に徴しても明らかであるが、組合員の政治活動ないし信条の自由は憲法によつて保障される国民の基本的人権の一つであるからこれを理由に除名することは許されないし、また同申請人らが仕事を怠けることを宣伝したとの点については、証人磯田英清、同福井孝次の証言に弁論の全趣旨を総合すれば同申請人らが前記(五)で認定したごとき主張を前提とし、賃金に見合う以上の労働強化に応ずる必要がない旨民青の班会議等で他の組合員に述べたことが一応認められるけれども、同申請人らが、他にいたずらに生産を阻害するような言動をしたことを認めるに足る疎明はない。よつて除名理由第七も失当である。
(七)除名理由第八(罪状第八)は、申請人森、同片岡が、組合員有志が声明書を発表した際、電話により、または通勤途上を待ち伏せるなどの方法によつて組合員に脅迫感を与え、心理的動揺をはかつたのは組合規約第八条の統制の義務に違反するというのであるが、証人福井孝次、同安村勝好、同川村孝士(第一回)、同高井源喜の各証言、申請人森、同片岡本人尋問の結果によると、昭和三八年一二月一二日福井孝次ら六名が連名で森、片岡を批難するビラ(丙八号証)を撒いたのち昼休みに、申請人森が、福井孝次を会社内の食堂の横で呼びとめ、ビラを撒いた理由を質し、その二日位後にビラを撒いた山本完治に電話で同様の趣旨のことを尋ねたものであり、その際語気が烈しくなつたため、相手方が多少の不安を覚えたことが一応認められるけれども、同申請人らが、非難に値するほどの方法でことさら脅迫行為をしたことの疎明はない。したがつてこの点についての除名理由も失当である。
以上のように前記除名理由はいずれも失当であるから組合が昭和三八年一二月二九日申請人森、同片岡を除名した決定は無効というべく、したがつて右除名が有効であることを前提とする会社の右両申請人に対する解雇の意思表示はその余の点を判断するまでもなく無効であると解すべきである。
四、以上認定のごとく会社の申請人ら三名に対する解雇の意思表示はいずれも無効であるから、申請人ら三名は依然としてその従業員たる地位を有するものであり、申請人ら三名各本人尋問の結果によると申請人ら三名はいずれも会社から得る賃金を唯一の収入とし他に特段の資産収入がないこと、よつて申請人ら三名がそれぞれの解雇時以降賃金請求権につき本案訴訟の確定に至るまでの間、解雇されたままの状態で放置されると、生活に窮し回復し難い損害を蒙るおそれがあるものと一応認められるので、申請人ら三名が被申請人会社の従業員としての地位を仮りに認められるべき必要性および賃金を仮に支払われるべき必要性があるものといわねばならない。
ところで申請人らがそれぞれの解雇時毎月二〇日締切りで賃金の支払いを受けていたことについては当事者間に争いがなく、その得ていた平均賃金が申請人ら代理人主張のとおりであることについては疎明がないが、その賃金は一ケ月につき申請人塩見については金一七、五二〇円、同森については金二〇、七三五円、同片岡については金二〇、六〇九円であることを被申請人は自認するのでこの限度において申請人ら三名の平均賃金支払いに関する主張を認容すべきである。
五、よつて申請人ら代理人の申請の理由のうち、申請人らの地位を仮りに定める部分、およびそれぞれ解雇時から本案判決の確定に至るまで、毎月前記認定の金額の支払いを求める限度においてこれを正当として認容し、その余の請求は失当として却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九四条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 畑健次 首藤武兵 北沢和範)
(別紙)
全員生産性向上運動カード
一、〔改善提案 よい改善提案があれば記入下さい〕
〔改善前〕
画像<省略>
〔改善後〕
画像<省略>
毛がないのは、ケガなくなるから安全
従業員皆んなハゲにすることを提案
二、〔良い製品を早く安く作るために貴方のアイデアを〕
こんな提案すればもうかるもうかる会社はホクホク 我々には安い賃金はげしい労働、そうは問屋がおろさない、断固反対 Aミゾがんばろう
三、〔これは危険だ汚いという場所を記入して下さい〕
全部危険 安全に関する標語をかきました。参考になればさいわい
アブナイゾ さわらぬ機械にたゝりなし
安全旗 見上げてにつこり笑う馬鹿
これが肝心
独立と平和がきずく職場の安全
四、〔皆さんが日常感じているこうして貰いたいという希望があれば書いて下さい〕
有給休暇を自由にとろう
労働強化やレイアウトによる合理化には断固反対である。